東北大学大学院理学研究科化学専攻分析化学研究室
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History of Our Analytical Chemistry Laboratory



 東北大学理学部は最も早く分析化学講座が設置された大学で,我々の研究室のルーツはこの日本で最初に設置された分析化学講座(当時は化学第四講座)になります。
 初代教授の小林松助先生は,大学で分析化学専攻を志した最初の日本人化学者であったとのことです。小林先生は京都帝国大学を明治43年(1910年)に卒業後,明治44年(1911年)に東北帝国大学理科大学に着任され,化学教室の創立に尽力されています。大正7年6月24日に,化学第四講座が設置されて小林松助先生が初代教授として就任されています。化学第四講座は昭和39年に講座名が分析化学講座と改称されました。その後,平成7年4月に大学院重点化が行われ,無機・分析系の4講座が集まって無機・分析化学講座ができ,このいわゆる大講座を構成する「分析化学研究室」として新たにスタートすることになりました。


 我々の研究室は日本で最も伝統のある分析化学の研究室であると言われていますが,この研究室を担当した教授は以下の通りとなります。

  小林 松助
   大正7年(1918年)8月10日〜昭和23年(1948年)3月31日

  箱守 新一郎
   昭和23年(1948年)5月 8日〜昭和34年(1959年)8月15日

  岡 好良
   昭和34年(1959年)8月16日〜昭和45年(1970年)3月31日

  鈴木 信男
   昭和45年(1970年)6月 1日〜平成 5年(1993年)3月31日

  寺前 紀夫
   平成 5年(1993年)9月 1日〜


 小林 松助先生は,1915年から1918年の間,米国MIT,Harvard大学,ニール大学に留学し,Harvard大学ではT.W.Richardのもとで原子量測定法を学び,銀の原子量を小林先生が決定し,その決定値が一時期使われていたとのことです。小林先生には京都帝大の最優秀卒業生に授与される,恩賜の銀時計の受賞者,という話も残されています(今の若い学生諸君には遠い昔の出来事かも知れませんが)。教授室の前のクリーンルームの前室(いまは倉庫と化していますが)の右壁に,小林松助文庫と銘打った本棚があり,先生の印章なども残されています。

 箱守 新一郎先生は,大正11年卒で,教授として講座を担当されてた折りには,学生実験も野球大会も先頭にたって活躍されたようで,「箱ちゃん」という愛称が卒業生の文章の中に見受けられます。先生の業績については,名古屋大学の原口先生から,「生物無機化学の草分け的存在で,長寿であったなら大きな仕事をまとめあげられたに違いない」と伺ったことがあります。生物無機化学というと,現代化学の大きな研究テーマでもありますが,分析化学講座で50年前に着手していたことになります。
 
 岡 好良先生については,まだあまり多くの記事を目にすることが出来ていません。電気化学や吸光光度法を用いた分析法の研究に従事されていたようです。
 
 鈴木 信男先生は昭和28年(1953年)卒で,放射性同位体を用いて生物試料中の極微量元素の分離・定量の研究に従事され,不足当量法(substoichiometry)という定量法を創始されたことで著名な先生で,この方法は放射化分析や同位体希釈法に応用されています。分析化学会の年会や討論会に出席している内に,先生の御名前を知るようになりましたが,金属錯体と溶媒抽出の大家,というイメージを持っております。1980年頃,PC8000という8bitのパソコンがNECから発売され始めた頃,私の恩師である田中誠之先生に連れられて,種々の分析データのデータベースを作成するという大学間の共同研究のため,教授室を訪問したのが鈴木先生との最初の出合いであったように記憶しています。現在も現役として,石巻専修大で活躍されています。学生諸君も,分析化学会の年会などでお目にかかる機会があるかも知れません。
 
 さて,私はというと,種々の批判は後世にまかせ,分析化学講座の伝統を将来への活力の源として,新たな研究に挑戦しつつ,次世代を担う多くの人材を世に送り出せることを願っている次第です。

(平成11年 (1999年) 10月27日 ホームページの更新に際して)


参考文献
1) 日本分析化学会編,「日本分析化学史」,(1981)
2) 東北化学同窓会報 化学教室創立八十周年記念号
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